人形の基礎知識

人形の基礎知識

はじめに

お家族の絆(きずな)を大切にいたしましょう。

現在、私達の生活は、あふれる情報の中で、せき立てられるように時を費やしています。人も企業も走り続けることが求められ、諸事便利になってはいますが、その反面で人として、最も大切な豊かな感情、すなわち情緒が次第に薄れてきています。近頃では子ども達の世界にもその影響が及び、いろいろと難しい問題が持ち上がっています。

また、家庭では核家族化が進み、祖父母と孫との触れ合いもなかなかできません。お子様のお節句のお祝いを機会に、何よりも親と子、祖父母と孫が触れ合うこと、また親しい方々をお招きしてホームパーティを開くことなどで、人と人との絆をより深めて行きたいものと考えます。

昔は通常、家族のみならず親戚までをも含む大家族制が多く、大勢が一つ屋根の下で生活していました。お子様のお節句なども一同が揃って祝うことが多く、そこには家族としての強い絆がありました。こうした集まりを重ねる中で情緒ある家庭生活が営まれ、子ども達は自然に家族の絆、家族の大切さを学びながら育ったものでした。

現代では核家族化の影響で、祖父母と孫とが和やかに触れ合う機会も減り、家族としてのだんらんのときさえなかなか取れません。ひな祭りや端午の節句に代表される季節の行事を大切に、出来るだけ多くの機会に皆様が集まり、お子様を祝福してあげること、さらに、お子様が何歳になってもそれを続けていくことが、家族の絆をより深めることにつながると考えます。

お正月飾り、三月五月のお節句飾り、そして七五三...どれも、子どもが無事に成長し、立派なおとなに育つようにという、人生の節目を祝うお祭りです。

竹が節目を持ちながら強くまっすぐに成長するように、人生の節目々々を祝うのは古くからの日本のしきたりです。たとえ贅沢なことはしなくても、ぜひ心をこめて、各ご家庭でお祝いをしてあげて下さい。

ひな人形、五月人形を飾る場所は、日当たりの良いところやお人形に直接温風があたる場所は、変色・変形等の原因となりますので避けましょう。

また、飾る際には、箱からお人形やお道具類、鎧、兜を取り出す順に写真を撮っておくと後の片づけが大変楽になります。

古くからの伝統工芸品を保護、育成するために、経済産業大臣が次のような要件を満たしたものを「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により指定しています。

必要な要件とは

  1. ① 年に一回の行事でも、主として日常生活で使われるもの。
  2. ② 製造過程の主要部分が手づくりであること。
  3. ③ 100年以上継続している技術や技法で作られていること。
  4. ④ 100年以上継続している原材料を使用していること(絹、綿、麻、木材等の天然素材で化学繊維やプラスチックは不可)。
  5. ⑤ 産地があり、地域産業となっていること、つまり産地の同業組合が存在していること。

伝統的の"的"とは、工芸品の特長になっている原材料や技術、技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらにその持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品、という意味です。

現在、節句人形関連では次の6品目が指定されています。

  1. ① 江戸木目込人形
  2. ② 京人形
  3. ③ 駿河雛人形
  4. ④ 駿河雛具
  5. ⑤ 江戸節句人形
  6. ⑥ 岩槻人形

指定の要件を満たした商品には、伝統的工芸品のマークがつきます。例えば江戸木目込人形は、桐塑(とうそ)のボディに正絹や綿の布を木目込み、頭も素焼頭等を使用し、手もプラスチック以外の桐塑や木彫り等の天然素材で作られています。つまり100年以上前とほぼ同じ商品というわけです。

雛人形

From ancient Japan, people transfered theie misfortunes befallen them to dolls and exorcised them on March third.
The dolls are called Hitogata or Katashiro which are human figure made of paper or straw and used to be set adrift at sea or down a river. This custom was connected with "doll-house-play" among girls during Heian period and developed into Hina Festival of today.
Today, just as olden day households with young girls, we display Hina dolls and celebrate Hina Festival to pray for their happiness on March third.

女の子の無事な成長を願って飾る男女一対を基本とするお人形です。

ひな人形には大きく分けて、衣裳着人形と木目込人形があります。

仕立て上げた着物を着せ付けて作ったものを衣裳着人形、型の溝にそって裂(きれ)を貼り込んだものを木目込人形といいます。

「雛」という文字は、ずいぶん難しい文字で、別に"ひひな"とも言われます。その意味は鳥の子が「ひひと啼く」ことが語源になっているらしいのです。それゆえ、小さく愛らしい物にはすべて、「雛」という文字が使用されています。例えば「雛形」といえば大きな物を小さい形に造ったもの「雛鳥」「雛鶴」などという言葉も、同じ意味のものなのです。

女の子の誕生を祝って初節句に雛人形を飾るようになった3月3日の雛祭り。3月の最初の巳の日であることから、正式には「上巳(じょうし)の節句」といいます。

さらに、この頃は桃の花が咲く時期ですので「桃の節句」という名でも親しまれています。

奈良時代の日本では、草や紙で「ひとがた」という人の形をつくり、災いを払うために川や海に流す儀式がありました。

これが「流しびな」の風習になり、お雛様の先祖になったといわれています。

平安時代には、宮中で「ひいな遊び」というお人形遊びが盛んになりました。 この「ひとがた」と「ひいな遊び」が長い時間をかけて自然と結びつき、雛祭りになったといわれています。

ひな祭りの歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼります。

その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって無病息災を願う祓いの行事をしていました。陰陽師(おんみょうじ・占い師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食物を供え、また人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流すのです。

また、その頃、上流の少女たちの間では"ひいな遊び"というものが行われていました。ひいなとはお人形のことです。紙などで作った人形と、御殿や身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、今の"ままごと遊び"でしょう。このことは紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』にも見られます。

長い月日の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭りとなりました。

上巳の節句が三月三日に定まったのは、わが国では室町時代(約600年前)頃のことと思われます。しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ、今のひな祭りとはかけ離れた祓いの行事でした。この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終わり世の中が平和になった江戸時代からのことです。

江戸初期の寛永6年(1629年)、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。この頃から、幕府の大奥でもひな祭りを行うようになり、やがてこの習慣は上流から町民へ、大都市から地方へと大きく広がっていったのです。

そして江戸中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の風習も生まれて、ひな祭りはますます盛んになりました。江戸市中には雛市(ひないち)が日本橋十軒店(じゅっけんだな・いまの室町)や浅草茅町(かやちょう・いまの浅草橋)など各所に立って大変にぎわいました。またこの頃から附属のひな人形やひな道具の種類も多くなり、かなり贅沢なものが作られるようになりました。幕府はひな人形の華美を禁じるお触れを再三出しています。

明治に入ると、新政府は従来の節句行事を廃止して新しく祝祭日を定めました。節句行事は一時衰えますが、しかし、長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、やがて復活します。こうして上巳、端午、七夕など子どもに関係深いお節句は、今も民間行事として盛んに行われています。

このように、ひな祭りは長い歴史の中にはぐくまれた、日本の誇る生活文化なのです。昔の人たちが工夫を重ねてきたように、現代の生活の中でも、いろいろアイデアをこらして、それぞれのご家庭で、みんなが一つになって、明るく楽しいお節句を演出してみようではありませんか。

用意するお料理は、まず、はまぐりです。

はまぐりは、他のはまぐりのフタとはピッタリ合わない事から、女性の貞節を教える意味で使われます。その他季節柄、貝を多く使ったちらし寿司や、鯛の塩焼き、まき貝が願い事をかなえるという意味から、さざえのつぼ焼き等が当日のメニューにふさわしいでしょう。

子供向けには、よもぎ入りの草餅、ひなあられ、白酒などを準備しましょう。

お仲人、親戚、知人などからお祝いを頂いたら、子どもの名前で、内祝いとしてお返しをします。お礼状に、お赤飯やおめでたいお菓子を添えるのが本来のかたちです。赤ちゃんのスナップ写真を添えるのもよいでしょう。ただし、お祝いを頂いた方を、ひなの宴にお招きする場合は、それがお返しの代わりとなります。

お招きするのはお節句当日か、その前夜(宵節句といいます)がよいでしょう。両家の祖父母を初め、親戚、そして普段親しくしている人などをお呼びします。

招かれた側では、すでにお祝いを贈っていれば何も持っていく必要はありませんが、たとえば桃など、季節の花を持参するのは奥ゆかしい心づかいと言えるでしょう。

ひな人形はその子どもの成長と幸福を祈るものですから、基本的には一人一人の人形と考えられます。出来れば次女、三女にも、それぞれのひなを用意したいものです。しかし、それが無理な場合は、それぞれ何かその子の記念になるような人形を買い求めてあげて、ひな壇にいっしょに飾ってあげるのがよい方法でしょう。

立春過ぎから二月中旬、遅くともお節句の一週間前までには飾って、その日を楽しみに待ちましょう。また片付けは、季節の節目という本来の意味からもなるべく早めに、遅くとも三月中旬までには済ませましょう。お天気の良い乾燥した日を選びます。なお、何かの事情で人形を保存できなくなった場合には、全国各地の社寺で行っている人形供養(人形感謝祭)に持参し、若干の供養料を添えて納めるのがよいでしょう。

古くはお嫁入り道具として婚家へ持参したものでした。従って、母方の実家から贈る例が多いようです。しかし現在では、可愛い子どものためにと両家で話し合い、費用を折半することも多くなりました。お仲人、親戚、親しい友人などからは、ケース入りのわらべ人形や舞踊人形、市松人形、木目込人形など、ひな壇に飾り添える華やかな人形を贈るのが一般的です。

人形(ひとがた)、あるいは形代(かたしろ)と呼ぶ草木あるいは紙やわらで作った素朴な人形に、自分の災厄を移して海や川に流した祓いの行事と、平安時代に始まるお人形遊び"ひいな遊び"とが、長い間に結びついたのが、現在の「ひなまつり」です。

ですから、ひな人形には、生まれた子どもがすこやかで優しい女性に育つようにとの親の願いが込められています。つまり、ひな人形をその子の形代と考えて、どうぞ災いがふりかかりませんように、また、美しく成長してよい結婚に恵まれ、人生の幸福を得られますようにという、あたたかい思いを込めて飾るのです。

ひな祭りが終わった後、なるべく早くしまうとされていますが、天気がよく、空気が乾いている日を選んでおしまいください。天気の悪い日は、湿気を含んでおり、カビや虫食いの原因になります。

早くしまわないと婚期が遅れるなどと言い伝えられていますが、特に根拠はないので気にする必要はありません。それより長い年月飾る人形ですから、しまい方(保存状態)が重要です。

天気の良い日にしまうことと、収納場所に湿気の少ない場所を選ぶことです。

お人形の顔や衣裳、お道具類には、ほこりがついています。毛ばたきでよく落としてからしまいましょう。持ち道具は取り外して、それぞれ決まった袋の中に入れましょう。顔や手の部分は素手で触らないようにし、柔らかい紙(ティッシュ等)でくるみます。お人形やお道具もそれぞれ柔らかい紙でくるんで、ほこりがつかないようにしてください。お人形やお道具類は、それぞれ決まった箱の中に収めてください。飾る際に箱を開けたときの収納状態を写真に撮っておくとしまうときに便利ですよ。大きな箱の中にいくつかのお人形やお道具を入れる場合には、中でぶつからないように、隙間にうす紙などを軽く詰めてください。

防虫剤を入れてよいかどうかは、表示ラベルなどをよく見て確かめましょう。防虫剤を入れるときは、お人形専用防虫剤が最適です。防虫剤はひと箱に1個とし、お雛さまなどに直接触れないように注意してください。また、樹脂製品には入れないで下さい。違う種類の防虫剤を一緒に入れないで下さい(ナフタリンと樟脳など)。また、毎年同じ防虫剤を使用するようにしてください。

結婚式もそうですが、お雛さまも向かって左に男雛、右に女雛と決まっています。ところが大正時代以前と、現代でも京都では、これが逆なのです。日本の礼法では向かって右が上座だったので、ひな人形も男雛が右でした。俗に京雛と呼ばれ、ひな人形のお内裏様は天皇・皇后の姿を模しています。この左右が入れ違ったのは昭和の初めでした。昭和天皇の即位式が紫宸殿で行われた時、欧米にならい向かって左に天皇陛下、右に皇后陛下がお並びになったことから、当時の東京の人形組合がお雛さまの左右を入れ替えて飾ることに決めたからです。ところが京都だけは、大正以前の京都御所の天皇の並び方を故実を基に守っているため、向かって右に男雛、左に女雛という飾り方をしています。いづれにしてもどちらの並びも正しいと言えますので、それぞれお好みの飾り方を楽しめばいいのでは。

雛人形を川や海に流す習慣です。ひとがたを流す古い形式が変化したものです。中でも鳥取地方の用瀬流し雛が有名です。ここでは立ち雛形式の紙の雛を桟俵に乗せて流しています。

享保雛以後新しく工夫された町雛の総称です。明和~安永(1760~70年代)頃、江戸十軒店の原舟月が作りはじめて流行しました。現在の雛人形に近いものです。

江戸時代に流行した面長の衣裳着雛です。寛永雛から発達したとされるもので、面長な顔に切れ長な目、能面に似た静かな表情をしているのが特徴です。衣裳は装飾性に富み、町雛として愛用されました。

雛のいろいろ~じろうざえもんびな(次郎左衛門雛)~

江戸時代に流行した丸顔の衣裳着雛です。江戸時代、寛文(1660年代)の頃、京都の雛屋次郎左衛門が創始したという雛の総称です。丸顔に細い眼、小さい唇と鼻などが特徴とされます。

立っている夫婦雛の総称です。別名を紙雛とも言います。

立ち姿の簡素な雛です。雛人形の起源である祓いの形代から人形化したものです。 立ち姿なので立雛とも言われます。

やなぎもの(柳物)約9センチ

やなぎもの(柳物)約11センチ

こげし(小芥子) 約12センチ

けし(芥子)約14cm

こさんご(小三五)約16センチ

さんご(三五) 約20センチ

じゅうばん(十番)約22センチ

九番以上は番数が小さくなるほど寸法が大きくなります。

地域によってひな人形にも随分と差があります。例えば都市部では、三五や十番の平飾りがよく飾られ、地方の場合、地域によっては三段飾りが主流と言うこともあります。この主因は住居の面積の差と考えられます。

ひな人形にも流行はあります。1~2年では分りませんが、五年前、十年前のものと比べると確実に変化しています。素材の変化はもちろんですが、色・柄・仕立ての変化などに、ある程度その時代の流行が見られます。

関東で作られる雛人形を関東雛、京都で作られる雛人形を京雛といいます。関東雛の頭ははっきりした目鼻立ちですが、京雛は目もやや細めで、京頭といわれる独特のおっとりした顔立ちです。ただし、最近では以前ほどの顔つきの違いは少なくなりました。

【仕丁(しちょう)】
庶民出身のこの三人は、笑い顔、泣き顔、怒り顔と人間の三大表情が描かれています。
烏帽子はゴムのものと紐のタイプのものとがありますが、すべりやすいので、どなたかに抑えていただくと簡単にかぶせられます。
台笠は右手を上げた仕丁の手に差し込むようにして持たせます。
沓台は両手を開いた仕丁の手にはさむように持たせます。
立傘は台笠と同様に左手を上げた仕丁に持たせます。
京風の場合、仕丁の手の形が違う場合があります。その場合は向かって左側から泣き顔、怒り顔、笑い顔の順に並べます。烏帽子は首からぶら下げるようにします(ペシャンコの烏帽子です)。
熊手は向かって左側の仕丁の前に置きます。
ちりとりは真ん中の仕丁の前か横に置きます。
ほうきは向かって右側の仕丁の前に置きます。

【随身(ずいしん)】
護衛の係りで、長いひげの老人が左大臣(向かって右)、りりしい若者が右大臣(向かって左)です。
冠はゴムのものと紐で結ぶタイプのものとがありますが、追い毛が頬の横に来るようにつけるのがポイントです。
太刀は左の腰と袖の間に差し込んでください(紐がついている場合は胴に回して結びます)。
持ち矢は羽の方を下にして右手に持たせます。
背矢は背中の帯に差し込みます。紐付きの背矢は胴に回して前で結びます。
弓は左手に持たせます。

【五人囃子】
子供姿の楽団、通常五人一組です。向かって左側より音の大きな楽器を持ちます。
烏帽子はゴムのものと紐で結ぶタイプのものがあります。
脇差しはそれぞれ五人囃子の左腰に差し込みます。
太鼓(たいこ)は左右の手にそれぞれバチを持たせ、太鼓の台の上にのせ、お人形の前に置きます。
大皮(おおかわ)は左手に大皮(絵のない鼓)を持たせます。口を開いている顔のお人形です。
小鼓(こつづみ)は右肩の上に小鼓(絵のついた鼓)をのせます。
笛(ふえ)は両手の指の間に持たせます。持たせにくい時は手首が回りますので動かしてください。
扇は右手に持たせます。口を開いている謡の顔のお人形です。
鼓の表面が白いのが大鼓、黒い輪が描いてあるのが小鼓です。
小道具をどうしても上手く持たせられないときには、人形の手を少し動かして持たせやすくしてください。人形の腕の部分には針金が通っているので、少々動かしても大丈夫です。この場合、手先ではなくひじの部分を動かすようにするのがコツです。

【三人官女】
親王さまの身のまわりの世話やお酒やご馳走を運ぶ係りの人です。
加えの銚子は左手を開いている方の官女の右手に持たせます。
三方(三宝)は座った官女の両手にはさみこむように持たせます(なお、この官女の顔にはまゆがありません)。
長柄銚子は左手を握っている方の官女に両手で持たせます。
三方(三宝)が嶋台に変わるタイプもあります。

【親王さま】
内裏雛(だいりびな)とも言います。平安時代の貴族のお殿さまとお姫さまがモデルで、お姫さまの着ているのは縁起のいい重ねの色の十二単衣(じゅうにひとえ)です。
笏(しゃく)は、右手の親指と人差し指の間に差し込んでください。
太刀(たち)は、左側の腰と袖の間に差し込んでください(紐がついている場合は胴に回して結びます)。
檜扇(ひおうぎ)は開いた状態で両手に持たせてください。
冠(かんむり)の紐は、親指と人差し指にかけ輪を作ってからかけると簡単です。冠をかぶせるときは上部を人差し指で軽く押さえながら紐を結んでください。纓(えい)は、冠の後ろ側の穴に差し込みます。

上段に内裏雛を飾る雛の館のことを京都では御殿と言いました。
その中に一対の雛を飾る形式が江戸時代から流行してきます。この御殿のことをお厨子とも呼びました。
御殿は、紫宸殿になぞらえたものとも思われ、またこの御殿作りを源氏枠とも言います。

公卿の装束を、有職故実に基づいて正しくつくった雛のことです。
十六世紀に始まるヨーロッパのドールハウスは、当時の貴族家庭の人物や調度品類を実物通り縮小製作した、まるで「人形の家」を連想させます。
江戸時代(1751~64年)、公卿が人形師に注文して作らせたのが始まりと言います。

ひな祭りと言えば、菱餅、雛あられ、端午の節句は、柏餅とちまきがつきものです。
餅は昔より災厄を祓うとされ、お正月の鏡餅をはじめ、お雛さまに菱餅、五月人形には柏餅が供えられます。

菱餅は餅が菱形で、下段から白、草色、紅色と三段に重ね、寒い冬(白)を過ぎ、草木の萌える早春を草色で表し、花の咲く春を紅色としたと言われています。
または、下段は草色で地を表し、中段は白で空間を、上段は紅で太陽を表していると言う説もあります。
また、関西地方では5色を重ねた菱餅もあります。

端午の節句に粽(ちまき)を供える謂れは、中国の故事により起源します。人々を悩ませた水神悪鬼を鎮めるため、粽を海に投げ入れると蛟龍となって天に昇り、それ以来人々も災難から逃れることができたという故事により、災難を除し家運を祈って供える風習となりました。

扁平丸形の反射板を取り付けた昔の燭台です。三月節句の雪洞、五月節句の提灯と同じ用途で、対にして用います。

市松人形とは、やまと人形の別称で、関西では「市松」、北陸方面では「三吉」、そのほか「じんじょこ」「ねんね」「でく」など地方により様々な呼び方があります。一般的には男の子は羽織袴の正装、女の子は通常おかっぱ頭で、振袖人形としては日本人形の代表的な人形です。三月節句には雛段等の左右に男女一対で飾られ、出産祝の贈り物として多く利用されています。

「高砂や~」、と結婚式に昔は良く歌われ、又、能楽でも代表的なものです。 箒と熊手を持ち、「高砂の浦」の松の木陰を仲睦まじく掃き清めている老夫婦の姿をしており、男性は住吉の松の精、女性は播州高砂ノ浦で、相生の松といわれ、古今代わりなき代を寿ぐたとえをあらわしています。そのような意味からお節句のお祝い物としては大変ふさわしいもので、特に仲人さんからの贈り物として最適のものといえます。

衣裳を張り、木目込んだ人形の総称です。木彫り、または生地に金襴、縮緬などの布をきめこみたる人形の名称です。江戸時代中期(1703~1792年)、京都、上加茂神社の使人高橋某が柳の木を彫刻し、衣裳の余り布などできめこんだのが初めとされ、加茂人形の名称もあります。

着せつけをした人形の総称です。裸人形、木目込人形、鎧着人形などに対し、衣裳を着せ付けたものをいいます。

段は通常、二段・三段・五段・七段があり、さらに間口によって三十号(三尺、90センチ)、三十五号(三尺五寸、105センチ)、四十号(四尺、120センチ)、四十五号(四尺五寸、135センチ)、五十号(五尺、150センチ)と分かれます。

人形のあたまの部分を頭といいます。十数年前までは桐のおがくずを固めた練頭やプラスチック製の頭が主力でしたが、現在はほとんど石膏製です。目玉の入っているものを、入れ目、目が描いてあるものを書き目と言い、衣裳着はほとんど入れ目の頭が使用されています。

また、木目込人形はほとんどかきめです。これらは素焼き頭と言って、粘土を型抜きして釜で焼いて作ったものを多用しています。

頭は非常に汚れやすい部分です、素手で直接、人形の頭の部分に触れないようにしてください。

なお簡単なよごれなら、早いうちにティッシュか綿棒をほんの少し水に浸したもので軽くこすれば取れます。

人形に着せ付ける衣裳に金色の糸が入っている場合、これを金襴と呼びます。金襴は京都の西陣地地区や群馬県の桐生市が主産地です。

頭(かしら)(あたまの部分)を取り付ける前の衣裳着人形の本体を胴または胴柄といいます。

頭は最後につけます。衣裳着人形の頭は一部を除いてほとんどが取り外し可能なので、頭を差すという表現を使います。(これに対し、ほとんどの木目込人形の頭は固定されていて取り外しが出来ません)。

冠の左右に出ている横棒のことです。なお、女性のかんざしの一種も笄と言います。

男雛の冠の後ろに差す薄い羽根状のものです。直立しているものを立纓(りゅうえい)と言い、天皇のみが使用できます。垂れているものを垂纓(すいえい)と言い、他の皇族が着用します。巻いてあるものを巻纓(けんえい)と言い、随身が着用します。

内裏雛の女雛の髪につける櫛です。正しくはさいし(釵子)あるいはひらびたい(平額)と言います。

昔、高貴な人の後からお供がかざした日傘です。雛人形の衛士の持っている笠です。五月枠飾りの立物にも用いられます。傘は羅紗などの袋に入れてあります。長柄傘とも言います。

武家が用いた丸い笠を笠の先に乗せたものです。雛人形の衛士の持っている笠です。五月枠飾りの立物にも用います。昔、武家の用いた笠を羅紗などの袋におさめ、竿の上にのせたものです。

内裏雛の衣裳の仕立て方の名称です。女雛の裾の部分の仕立て方を言います。

女の下げ髪の髪型です。全髪を頭頂にたばね結び、その先を長くたらした髪を言います。内裏雛の女雛及び官女などに用います。

内裏雛の女雛の袖の装飾用の房です。

内裏雛の女雛の肩よりたらす装飾用の房です。

女雛の腰から下の後方だけにまとった布です。ひだが深く吉祥文様などが描かれます。

女雛の肩にかけるスカーフ状の帯のことです。正しくは懸帯(かけおび)と言い、前面には刺繍を施します。

檜の薄板で作った扇です。内裏雛の女雛に用います。

束帯の腰にまとう革で作った帯のことです。玉、めのうなどの石を位の上下によって帯に並べてつけるから石帯と言います。

昔、文武官が束帯を着ているとき、手に持ったものです。

朝廷の正装のことで、公の場ではこの服装を必ず着用しました。

あわびなどの貝の真珠色に光る部分を薄片とし、種々の形に切って、ひな道具、屏風、又は布などに埋めつける技法のこと、古くインドに起こり、中国を経てわが国に渡来しました。

細かい金、銀の粉を用いた蒔絵、塗り、または紙の種類です。金粉、銀粉をまきちらし、梨の実の肌のように仕上げたものです。

屏風などに使用する布目のある紙です。紙をプレスして絹目を出したもので、布目ともいいます。三月及び五月に用いる金屏風などの紙です

絹地に金箔で箔押しした、高級品の屏風です。

金95%、銀5%の合金を叩いて一万分の一ミリまで打ち伸ばしたものです。主に金沢で作られます。

風よけ、または装飾のために室内に立てて用いる道具です。親王のうしろに飾り、種類には二曲、三曲、四曲、六曲、八曲などがあります。

本金の金粉(芥子粉と言う)を使用した蒔絵です。

三つ葉唐草模様を盛り上げて描いたものです。主として高級品に用いられます。

模様を盛り上げて描いた蒔絵です。唐草、花鳥山水などの図案を、浮き立たせるように高く盛り上げて描いた蒔絵の技法です。

三つ葉をあしらった唐草模様です。

蒔絵模様の種類です。つる草をからませた模様を描いたものです。

御殿造りをかたどった雛の屋形です。黒、朱、梨子地塗りなどに蒔絵付のものと、白木造りとがあります。また、屋根なし(源氏枠)のものもあります。

琴、三味線、胡弓の三種を合わせた雛道具です。

双六盤、碁盤、将棋盤の三種を合わせた雛道具です。

食べ物を盛る箱形の容器です。方形扁平の箱を二重、三重、五重に重ねたものです。角、角丸、胴張形などがあります。

手を暖め、湯茶などをわかすのに用いる道具です。丸、角、胴張、御殿形などがあります。

毛氈・だんぬのとも言い、三月、五月の雛段にかけるきれです。

座形彩色の対の犬です。胡粉彩色や金銀箔押しをした美しいものです。いわば、お雛さまの守護神で、内裏雛の左右におくものです。犬箱あるいは犬張子ともいい、現在の犬張子のもとです。香箱のようにふたがとれ、御守札などを入れ得ます。嫁入道具としても重要な役目を持っていました。

布を用いた一種の衝立です。装飾をかねて衝立や屏風の役目をなしたものです。表面は朽木形模様や花鳥の絵が描いてあります。また、錦や綾織物を用いた美しいものを美麗几帳と言います。

雪洞(ぼんぼり)などの火をともす部分をおおう布製の笠のこと、ホヤとも言います。

6角、丸形、棗(なつめ)形などのひなまつりの燈火台です。足は、一本足、二本足、三本足のものがあり、台は、丸形、六角形、菊形のものがあります。

3種の棚を組み合わせた調度です。黒棚、書棚、厨子棚の3種一揃いです。武家の調度として用いられ、高貴の女性の嫁入道具ともされたものです。

貝合わせとは、蛤(はまぐり)貝の中側に絵や歌が書いてあり、同じ絵の貝を二つ合わせる遊戯です。

6角筒形の容器です。貝合わせの貝を入れる容器一対です。

丸い筒形で、外ぞりの脚がついた容器です。平安時代の外出用の食物の容器です。

花をのせた車です。蒔絵の車に花を花瓶か籠にさしてのせたものです。牛をつけたものもあります。

御所車、御駕籠の一組です。

昔の大名あるいは高貴の女性などが使用した乗り物です。黒漆塗りに美麗な蒔絵などを施します。

昔の貴人が使用した乗り物です。牛をつけたものを牛車(ぎっしゃ)と言います。

昔の化粧具の一揃いです。化粧道具の品数により五、七、十三揃などがあります。

茶の湯に用いる棚と茶道具の一揃いです。

銚子、盃などの酒具一揃いです。銚子、盃、重箱を台盆にのせたものです。杯盤とも言います。

雛道具の箪笥、長持、鏡台、針箱など、嫁入道具を組合わせたものの名称です。

昔、衣類や布団を入れた長方形の容器の名称です。いわゆる三つ揃いの中の一つです。往時、衣類や布団などを入れておいた長方形かぶせぶたの箱です。

夫婦箪笥など5荷の一揃いです。夫婦箪笥2荷、長持ち2荷、挟箱1荷の5荷の一揃いを組み合わせたものです。

箪笥、長持、挟箱(はさみばこ)(両掛とも言います)の三種類一組です。三荷揃(さんかぞろい)とも言います。

鏡台と針箱一組の略称です。

お膳の高級品の型です。また、これに湯桶(ゆとう)、飯櫃をつけた場合は、両つぎ付と言います。

ひな全部の一揃いです。内裏雛(2人)、官女(3人)、五人囃子(5人)、随身(2人)、仕丁(3人)の5種類、いわゆるきまり物15人の揃いです。

仕丁(しちょう)のことです。

別名を衛士(えじ)とも言います。三人一組のものです。十五人揃いに属し、白衣を着たものです。向かって右から立傘、沓台(くつだい)、台笠持ちの順に飾ります。笑い、泣き、怒りの表情から、三人上戸の別称もあります。

随身の俗称です。

別名を矢大臣とも言います。弓矢を持った二人一組のものです。十五人揃いに属し、宮廷を警護する儀仗(ぎじょう)姿の武官です。俗に左大臣・右大臣とも言います。向かって右に老人、左に若人を飾ります。

雛の五人囃子に加えて用いる雅楽を奏する人々です。五人又は七人で飾り、左から次のように飾るのが一般的です。琴、横笛、篳篥(ひちりき)、火焔太鼓、笙(しょう)、琵琶、羯鼓(かっこ)です。

5人一組の囃子方です。十五人揃いに属し、能楽の囃子方かたをかたどったもので、普通、童顔を用います。向かって右から謡(うたい)、横笛、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおかわ)、太鼓の順に飾ります。

別名を親王と言います。

親王すなわち内裏雛の略称です。

宮廷の女官です。別名を三人官女とも言います。通常三人一組のものです。 十五人揃えに属し、向かって右から長柄の銚子、三方、加えの銚子(正しくは提子)の順に飾ります。白衣に緋の長袴をつけたもの(三白という)と、打掛を着せたもの(掛付)とがあります。

内裏雛の別名です。ひなまつりの主体、男女一対で親王と称しています。

雛のお膳で一般に用いられる蝶足形のお膳です

猫の足をかたどった菱台です。

菱餅を供える菱形をした台です。箱形と猫足形とがあります。一対にして用いられます。

高く脚をつけた丸い皿です。高杯とも書きます。お菓子などを供える器で、一対にして用いられます。

瓶子に口花をさし三方にのせたものです。普通、内裏雛の男雛と女雛の間に飾ります。

ひな祭りに供えるひし形の餅です。多くは紅、白、緑の三色に作ります。普通、上を桃色、中を白、下を緑に積み重ねるが、特にきまりはなく、五色のものもあります。

瓶子にそえる造花です。三方にのせる瓶子の口にさし飾ります。三月飾りは桃の花、五月飾りは菖蒲の花をさします。

ひなまつりに供える白いお酒です。江戸時代(1601~1867年)から用いられ、必ずひな壇に供えられました。民間には白酒売りの風俗もありました。

天皇が儀式にお召しになる衣裳の染色のこと、黄色味を帯びた茶色で、桐、竹、鳳凰の柄で構成されています。

人形の下に敷く赤い布を毛氈と言います(段の場合は段掛、親王飾りの場合は床飾用などとも言っています)。素材的には綿を起毛してあるものをメルトン、ウール製のものをフェルトと言いますが、化繊製のものもあります。毛氈の一番下についている金襴の模様を繧繝(うんげん)模様と言います。

よりの弱い経糸とよりの強いヨコ糸を使用して織ったあと、さらに加工したちぢれた感じの織物のことです。

布に金を転写し、この周囲をやや硬質の樹脂で縁取って、その縁取りにも金を転写して図柄を表現したものです。

布に染料で絵を染め出した織物です。江戸中期に宮崎友禅斎が創始したのでこの名前があります。

多色の美しい織物です。内裏雛の御座の畳縁に用いる多色の美しい織物です。

内裏雛に用いる御殿風に作った台です。名古屋、京都、大阪地区などで使われます。

内裏雛に用いる台です。多くは二つ重ねになっています。略して玉台とも言います。

故実、典例。朝廷や武家の儀式、法令、作法、風俗、服装などのしきたりにならって、物を作ったり、事を行ったりすること。うそく(有職)とも言います。

雪洞と書いて「ぼんぼり」と読みます。高級品は木製、普及品はプラスチック製です。左右一対ですが明かりの灯らないもの(小型が多い)とがあります。台の部分が菊の花型をした菊灯といわれるものが一時大流行しましたが、近年はさまざまな形のものが出回ってきました。木目込人形の場合は、燭台または油灯といわれるものを多用しています。

左近の桜、右近の橘といって、親王側から見て左に桜(向かって右)、右に橘を飾ります。これは京都御所の紫宸殿にある木を模したものです。桜橘の代わりに紅梅・白梅を組み合わせる飾り方もありますが(木目込人形に多い)、その場合は向かって右に白梅、左に紅梅を飾ります(京都御所では実際にこう植えられています)。

室町時代上流階級の間では犬箱をお産する部屋に飾りました。子供をよく産んで、お産が軽く、主人を守ることからお守りとされてきました。江戸時代には婚礼調度の一つとしてひな祭りには必ず飾られていました。

当店で販売している人形師 市川豊玉/泰玉監製(親王飾り)¥295,000に飾られています

<広辞苑より>
・犬箱犬を伏した形に作ったふたつきの小箱。育児の呪具として用いた→犬張子・天児(あまがつ)
・犬張子顔を子供に似せ、体を犬の姿に作り、子供の魔除けとし、三月の節句の飾りに用いて玩具になった=犬箱

つるし雛の風習は江戸時代後期の頃を発端として、愛する子供や孫のため、手作りの雛飾りで、初節句を祝おうという親心から生まれたもので、現在では全国的に知られています。

つるすものは女の子の生活に必要なものを作ったといわれ、人形類、野菜や果物、花、手まり等があります。これは子孫繁栄、家族の幸せ、人の輪を表していると言われています。



昔より、亀は長寿の象徴とされています。

とうがらし

とうがらしは虫除けの効果があることから、わが子に悪い虫が付かないようにとの親心です。雛人形をおしまいになる際にも、とうがらしを紙にくるんで同封するとよいといわれます。

はまぐり
はまぐりのような二枚貝は、その組でしか合わないということから貞節の象徴であります。

巾着
巾着、すなわちお金に不自由しないようにとの願いが込められています。

這い子人形
這えば立て、立てば歩めを願う親心です。わが子の健やかな成長が願い込められています。

うさぎ
うさぎは神様の使いであるといわれ、その力に守られますようにとの願いが込められています。


花のように可憐で美しくあってほしいとの願いが込められています。


柿は滋養があり、長寿を象徴し、厄払いの効もあるといわれています。柿が赤くなれば、医者が青くなるといわれ、長寿を願っています。

ふくろう
不苦労(ふくろう)の読みにかけて、苦労しないようにとの願いが込められ、福を願います。

俵ねずみ
俵は五穀(食べるもの)に困らないようにとの願いが込められています。ねずみは大黒様の使いであり、金運や霊力があるといわれ、子供をたくさん産み、働き者であること等さまざまな願いが込められています。


四角の形で枕を表し、寝る子は育つとの言伝えより、元気に育つことを願っています。

座布団
四角の形で、座布団をあらわしています。座布団の周りで赤ちゃんが元気に這って遊ぶさまを願い、赤ちゃんに恵まれますようにとの願いが込められています。

三角
香袋を模したものです。お香は貴重品であり、また薬でもありました。山を模したものもあります。日本の象徴富士山を表したものもあります。

さる
災厄が去る、サルの言伝えは全国各地に様々あります。

もも 桃の実には、霊力があるといわれ、邪気、悪霊を退散し、延命長寿を意味します。桃は花が早く咲き、果肉が大きく実が多いことから、多産を象徴しています。

五月人形

Since ancient times in Japan, people traditionary hold the boy's festival to drive away evil spirits on May fifth-Tango-. In Edo period samurai family displayed banners and military armors to celebrate their heir and ordinary citizens also followed this custom. Later on the hand-made miniature warrior-doll-helmets were displayed among ordinary citizens.

The custom to display helmet and armors, and May dolls representiry brave samurais or healthy boys on May fifth originally comes from the above custom.

ひな人形、五月人形を飾る場所は、日当たりの良いところやお人形に直接温風があたる場所は、変色・変形等の原因となりますので避けましょう。また、飾る際には、箱からお人形やお道具類、鎧、兜を取り出す順に写真を撮っておくと後の片づけが大変楽になります。

端午の節句は、奈良時代から行われている古い行事です。端午というのは、五月の初めの午(うま)の日という意味です。しかし、長い歴史の中で、いつのまにか五月五日に固定されてしまいました。

奈良・平安時代の端午には、災厄を避けるための行事が行われる重要な日でした。宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉で作った薬玉(くすだま)を柱に下げたりしました。また、災いをもたらす悪鬼を退治する意味で、騎射(うまゆみ)、競馬(くらべうま)などの勇壮な催しも行われました。

民間でも軒に菖蒲を挿し、また、子どもたちが小弓を引いたり、印地(いんじ)と呼ばれた石合戦を盛んに行いました。この印地は江戸の初めまで続きましたが、危険なため禁止とされて、後には菖蒲切りというチャンバラごっこから、菖蒲打ちといって菖蒲の束で地面叩き、音の大きさを競う遊びへと変化しました。

鎌倉時代には宮廷の端午の行事は衰えますが、代わって武家の間から、菖蒲を尚武と解し、この日を大切にする気風が生まれ、また、男の子に兜や太刀を贈ったりしました。民間でもこの頃から、菖蒲湯、菖蒲酒、菖蒲枕など、菖蒲に関する風習が盛んとなりました。

江戸時代、武家社会に入ると、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は染帷子(そめかたびら)の式服で江戸城に出仕し、将軍にお祝いを述べました。

また、将軍に世継ぎが生まれると、城中にたくさんののぼりや作り物の槍、薙刀、兜などを立てて盛大にこれを祝いました。民間でも、こうした武士の気風を真似て、初節句には厚紙でこしらえた大きな作り物の兜などを屋外に飾りました。

こうして端午の節句は、武家のみならず民間にまで広がって、男の子の誕生を祝う日となったのです。

作り物の鎧兜は、やがて屋内に引き入れられ、精巧なミニチュアの内飾りに変化していきます。また、外飾りの場合は、民間ではのぼりに武者絵などを大きく描いて、にぎやかに飾り立てました。そして、江戸も中期を過ぎる頃から、町の人々のアイデアで鯉のぼりが考案され、次第に大きくなって江戸の空を悠々と泳ぐようになりました。

明治時代に入ると、新政府の方針で、それまでの節句行事が廃止され、新たに国の祝祭日が定められたため、端午の節句も一時衰えました。しかし、男の子の誕生を祝いその成長を祈る日は、やはり人々の生活の中に深く浸透しているだけに、やがて復活し、今日まで盛大に祝われています。

このように、端午の節句は長い歴史の中にはぐくまれた、日本の誇る生活文化なのです。昔の人たちが工夫を重ねてきたように、現代の生活の中でも、いろいろアイデアをこらして、それぞれのご家庭で、みんなが一つになって、明るく楽しいお節句を演出してみようではありませんか。

五月人形には外飾りと内飾りとがあります。

鎧や兜を飾るのは、江戸の武家社会から生まれた風習ですが、庶民もこれにならい、ここからのちに精巧なミニチュアの内飾りが生まれました。現代ではとにかくこれらを戦争のための武器と受け取りがちですが、日本の鎧兜には、ゆたかな個性と時代時代の最高の工芸技術とが投じられています。風さわやかな五月五日、これら男性美に満ちた鎧兜などを飾って、男の子の健全な成長を祈るのは、日本古来の美しい風習なのです。

また、鯉のぼりや武者絵のぼりなどの外飾りは、わが子の出世を願うものとして、古くから建てられてきました。

お節句は、その子が無事に成長するようにとのお祝いですから、基本的には、五月飾りもそれぞれに用意したいものです。しかし、もしそれが出来ない場合も、なにかその子自身のための五月人形などを買い求め、その健やかな成長を祈ってあげましょう。

五月人形同様、鯉のぼりも基本的には一人一人のものです。次男、三男の場合には、鯉を足していったらよいでしょう。

「...大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子どもたち...」の歌のように、青い五月の空を水に見立て、カラフルな家族の鯉をたくさん泳がせる、この素晴らしいアイデアこそ、端午の節句の象徴といえるでしょう。

以上の見解はごく標準的なものです。全国にはさまざまは風俗習慣がありますので、父方と母方とでは、あるいは考え方の違いもあることでしょう。しかし要は気持ちの問題、可愛いお子様のためによく話し合い、最良の方法で明るく楽しくお節句をお祝いしてください。

なお、なにかの事情で人形を保存できなくなったときは、全国各地の社寺で行われる人形供養(人形感謝祭)に持参し、若干の供養料を添えて納めるのがよいでしょう。

五月五日当日、またはその前夜(宵節句)に、両家の祖父母、親戚、親しい友人などをお招きします。また、お返しは子どもの名前で内祝いとして贈ります。これには古くから、ちまき、または柏餅がよく使われます。お礼の手紙に赤ちゃんのスナップ写真を添えるのもよいでしょう。ただし、お祝いの席にお招きした方には、特にお返しの必要はないでしょう。

春分の日過ぎ、遅くとも四月中旬頃までには飾って、当日を楽しみに待ちましょう。大切なのは毎年飾ることです。年一回のお節句です。毎年飾ることで、わが子に対する家族の祈りを新たにし、また子どもとの対話を深めることが出来るでしょう。

なお、お節句は季節の行事ですから、それが過ぎたらしまうのはなるべく早めに、五月中旬までのお天気のよい日を選んでしまいましょう。鯉のぼりも同様です。

一般的には、母方の実家から贈られる例が多いほうですが、今日では、可愛いお子さんのために、両家で費用を折半することも多くなりました。また、鯉のぼりは母方、内飾りは父方で用意することもあるようです。いずれにせよ、双方でよく話し合って決めることが大切でしょう。

飾り方は大きく分けて二通り、外飾り(鯉のぼりや武者絵のぼり)と、内飾り(鎧、兜飾り、または子ども大将飾り)とがあります。内飾りはこれらを中心にして、いろいろな道具や人形を飾り添えます。本来は、出世を願う鯉のぼりと、成長を祈る内飾りの両方を飾るのが望ましいかたちですが、地方によりどちらをメインにするか若干異なります。土地の風習を尊重しながら、その中でそれぞれのご家族にふさわしい飾り方を工夫してよいのではないでしょうか。

菖蒲の葉の強い香りには邪気を祓う力があると信じられ、その音が尚武に通じることとともに、昔から端午に欠かせない植物とされてきました。なお、菖蒲の葉をお風呂に入れる菖蒲湯は、体の穢れを除き健康によいとされ、現在でも行われています。

はじめ、天の神様を招くため戸外に立てた武具やのぼり旗は、江戸中期以降は内飾りにも作られ、また、兜の飾りに取り付けられていた人形がやがて独立して、さまざまな五月人形になりました。ことに武家社会では端午を象徴する菖蒲の音が「尚武」に通じることから、この日は跡継ぎの将来を祝う大切な祝日でした。この「尚武」を現代的に解釈するなら、男の子が多くの困難に打ち勝ってたくましく成長することと考えてよいでしょう。身を守るための鎧兜や、あるいは五月人形を飾る習わしの中には、わが子の健全な発育を祈る両親や家族たちの真剣でしかもあたたかな祈りが込められているのです。

男の赤ちゃんが初めて迎える五月五日のお節句を、初節句といいます。現在では子どもの日となっていますが、本来は端午(たんご)の節句といいました。端午とは五月初めの午(うま)の日のことです。端午は、奇数の重なることをおめでたいとする考え方から、やがて五月五日に定着しました。

節句飾りとは神社の御守りと似た意味合いを持ち、赤ちゃんの身にふりかかる災難を、鎧・兜が身代わりとなって受けてもらおうという、子を思う親の心の表れで古くから受け継がれてきました。一人一飾りという言葉も、御守りを譲り受けないということと同じく、災いを受け継がないという意味からきています。

ひな祭りと言えば、菱餅、雛あられ、端午の節句は、柏餅とちまきがつきものです。餅は昔より災厄を祓うとされ、お正月の鏡餅をはじめ、お雛さまに菱餅、五月人形には柏餅が供えられます。端午の節句に粽(ちまき)を供える謂れは、中国の故事により起源します。人々を悩ませた水神悪鬼を鎮めるため、粽を海に投げ入れると蛟龍となって天に昇り、それ以来人々も災難から逃れることができたという故事により、災難を除し家運を祈って供える風習となりました。

座敷幟用竿の塗り方の名称です。座敷幟用の竿に、あわび貝を細かくしたものをモザイク式に張り、その上から塗料を塗り、みがきだして青く光らせたものです。新青貝、みじん貝、または人貝と称して、青貝塗のごとくみせたものもあります。

両立、一本立ともいい、座敷幟の鯉と吹流しの一対です。

座敷幟の一本立に用いる四本柱の枠です。

幟の旗の縁へ輪にしてつける布の名称です。五月幟の旗や幟などの縁につけ、竿や紐などを通す小さな布の輪です。

幟の上部に使用する竹の筒です。五月飾幟の上部にはめる縦の管と横の棒を一緒にした専門語です。

別名を子持ち筋とも言います。幟、幕などの染め方です。長幟、陣幕などに用いられる太い線と細い線を横に染める染め方の名称です。

座敷幟の鍾馗旗、あるいは武者人形の背負っている幅の広い旗です。

座敷幟の立物のうちの長い幟の名称です。 上部に二引、下部に波に千鳥や、神功皇后に武内宿禰などを描いてあります。二引の下には家紋をつけることもあります。 戸外用の武者絵幟も長幟です。

戸外幟や座敷幟の長幟の上部につける小さい旗です。

座敷幟枠にたくさんの彫刻をほどこしたものです。座敷幟枠の柱及び腰板などのすべてに彫刻をほどこしたものを言います。柱の部分に獅子に牡丹、竜に雲など、腰板の部分には臥竜、または波に千鳥などの模様を多く用います。

座敷幟枠の一形式です。柱に象の鼻を模した彫金をはめ込み、それに幟、槍などの飾りものを立てるようにしたものです。

座敷幟の五本柱屏風枠の略称です。

座敷の幟枠の腰の部分に彫刻があるものです。座敷幟の枠の腰板に彫刻をほどこしたもので、平枠、屏風枠などがあります。

普通の屏風形の座敷幟枠です。枠の左右を屏風形に前方へ曲げたものです。

屏風形の座敷幟枠です。平屏風枠、五本柱屏風枠、総彫屏風枠などがあります。これに対して、簡易な製品に平枠があります。

平らな形の座敷幟枠です。左右二本の柱に脚をつけ、横木(貫一本と上下の框二本)を渡し、腰板をはめ込んだものです。

戸外幟に対する名称で、平枠、屏風枠、一本立などの総称です。

扁平丸形の反射板を取り付けた昔の燭台です。三月節句の雪洞、五月節句の提灯と同じ用途で、対にして用います。

灯火の一種です。篭を三本の脚で支えたような灯火具で、陣中、夜の警護や照明の火を燃やす道具です。五月節句には一対で用います

飾台に丸形提灯を立てたものです。

太い線と細い線(子持ち二引)横に染めた幕です。陣中に張る幕を模したものです。

矢屏風に台をつけたものです。

屏風形の木枠に矢を立てたものです。

軍扇揃、陣笠揃、陣太鼓の一揃いです。

台にのせた太鼓です。昔、戦陣で用いた太鼓をかたどったものです。

軍扇揃と陣笠揃一対(軍扇陣笠揃)の略称です。

段は通常、二段・三段・五段・七段があり、さらに間口によって三十号(三尺、90センチ)、三十五号(三尺五寸、105センチ)、四十号(四尺、120センチ)、四十五号(四尺五寸、135センチ)、五十号(五尺、150センチ)と分かれます。

陣笠と鞭(むち)との組み合わせです。多くは軍扇揃と一対にして用いられます。

軍扇と采配との組み合わせです。多くは陣笠揃と一対にして用いられます。

茅(ちがや)や笹などに巻いた餅です。古くから五月節句の供え物とされました。粽とは茅巻(ちまき)の意で、糯米(もちごめ)または米粉にて作った餅を菰(まこも)、笹、茅などで巻き込んだものです。

五月節句の供え物です。柏の葉に包んだ菓子です。古代、食物が柏の葉に盛られたなごりを示し、関東では一葉で包み、関西は二葉で包みます。柏は新しい葉が成長してから古い葉が落ちるため、めでたい植物とされました。

古代の徳利です。

三方と同じ用途で、8本の脚をつけた台です。三台揃(さんだいぞろい)前飾の別名です。三方、または八足の三台を揃えたものです。菖蒲酒の瓶子と粽、柏餅を三台の三方にのせたもの、または八足台を用いたものです。

瓶子に菖蒲の花をさし、粽と一緒に三方にのせたものです。別名を前飾、または一台飾とも言います。三台揃式に対し簡略なものです。

籐を巻いて仕上げた弓の呼称です。

玩具化・装飾化した五月節句用の太刀です。きれ張り、彩色仕上げなどがあります。

五月の飾太刀の柄(つか)に鳥頭をつけたものです。飾太刀の一種で、太刀の柄頭を鳥の頸にかたどったものです。平安時代(794~1192年)の太刀に用いました。

五月飾用の飾太刀です。一本太刀は太刀掛(飾台)に立てたもの、二本太刀は大小を横掛けにしたものです。

五月飾り用の太刀と弓を揃えたものです。

対象物を金属の溶解液の中に漬け、電流を流して金の薄膜を接着させる技法です。メッキのことです。

兜のうしろ部分に垂れて首筋を覆う部分の名称です。

兜の前面のひさし部分のことです。

鎧の小札作りの技法のことで、和紙の小札を並べたものを漆塗りにした作り方のことです。江戸初期、飛来一閑(ひらいいっかん)の創始と言います。

兜の前面に角のように二本立つ金属のことです。くわいの葉の形に似ているからとも言われます。

鎧、兜の紐の編み方です。五月飾鎧の糸または紐での編み(威し)方を言います。おもな彩色は、緋威(ひおどし)など、単色の他に、裾濃(すそご)(下方に色濃く、上方へ薄い)、匂(裾濃と逆になっている)、沢瀉(地色と別の色を組ませ、杉形で沢瀉の葉に似ている)逆沢瀉(沢瀉の逆のもの)などがあります。

兜を飾る芯木にかけて用いるきれです。

五月飾鎧、または兜の容器です。普通は6本脚の唐櫃形です。

鎧の形式の名称です。草摺が五枚以上になっているものです。通称ではすべて鎧と呼びます。大鎧との相違は草摺が五枚以上になっている点です。

鎧の形式の名称です。草摺(くさずり)が四枚になっているものです。具足との相違は、草摺(腰にさがる部分)が大きく、前後左右の四枚になっています。

甲冑の総称です。五月飾りには主として具足と大鎧とがあります。

張子で虎の形をした玩具です。首を糸でつり、振り動くようにしたものもあります。主として関西地方の五月節句にも飾られます。

紙張りの虎です。

紙張りの五月節句用飾馬です。奉書紙を材料として、馬の毛肌のように作ったものです。

ちりめん張りの五月節句用の飾馬です。馬の生地に縮緬などの布を張り付け、肌としたものです。

五月飾用の馬です。奉書張(ほうしょばり)、縮緬張(ちりめんばり)、?糸葺(すがいとぶき)、塗上(ぬりあげ)などがあります。

加藤清正のさまざまの構図です。

豊臣秀吉の姿です。

梅の花をさして立つ勇将の構図です。謡曲「箙(えびら)」からとり、一の谷合戦、梶原源太景季を表します。一名、箙の梅とも言います。

弓の弦(げん)を引き鳴らしている構図です。昔、弓の弦を強く引き鳴らして魔を払ったという故事があり、今日も宮中で行われています。それより取材した構図です。

神功皇后武内宿禰の略称です。

武装の神功皇后と皇子(のちの応神天皇)を抱く武内宿禰の構図です。神功皇后が武内宿禰を従えた凱旋の目出度い五月人形の構図です。

顔を髭で埋め、手に剣を持った構図です。唐の玄宗皇帝が夢で悪魔に悩まされているとき、鍾馗が現れ、これを救いました。後に皇帝が画家、呉道子(ごどうし)に、夢に見た鍾馗を描かせたという伝説によります。即ち悪魔退散の意で、五月人形に用いられます。

神武天皇の略称です。

鏑矢(かぶらや)を持って見得を切っている構図です。歌舞伎十八番の一つです。「矢の根」から、曽我五郎の構図です。

巻物を読みあげている弁慶の構図です。能楽の「安宅」、歌舞伎の「勧進帳」よりの構図です。そのほか金剛杖を持ち六法を踏む構図のものもあります。

武藏坊弁慶です。能および歌舞伎の「橋弁慶」、「勧進帳」からとった構図などがあります。

4角な袖の衣裳を着用し、中啓(扇)を持って見得を切っている構図です。変型には兜をもったものもあります。歌舞伎十八番の中の「暫」の主役です。芝居で、揚げ幕の内より「しばらく」と声を掛けて登場するので、この名があります。

大将姿の武者人形を中心とした飾り方です。

日本五大昔噺の一つ「桃太郎」からとった構図です。

別名を金時とも言います。紅顔の童子の人形の総称です。源頼光(らいこう)の四天王、坂田公時(きんとき)の少年時代をあらわしたものです。

馬に乗った武者の総称です。

五月節句に飾る勇壮な人形の総称です。

昔、高貴な人の後からお供がかざした日傘です。 雛人形の衛士の持っている笠です。五月枠飾りの立物にも用いられます。傘は羅紗などの袋に入れてあります。長柄傘とも言います。

武家が用いた丸い笠を笠の先に乗せたものです。雛人形の衛士の持っている笠です。五月枠飾りの立物にも用います。昔、武家の用いた笠を羅紗などの袋におさめ、竿の上にのせたものです。

あわびなどの貝の真珠色に光る部分を薄片とし、種々の形に切って、ひな道具、屏風、又は布などに埋めつける技法のこと、古くインドに起こり、中国を経てわが国に渡来しました。

細かい金、銀の粉を用いた蒔絵、塗り、または紙の種類です。金粉、銀粉をまきちらし、梨の実の肌のように仕上げたものです。

屏風などに使用する布目のある紙です。紙をプレスして絹目を出したもので、布目ともいいます。三月及び五月に用いる金屏風などの紙です。

金95%、銀5%の合金を叩いて一万分の一ミリまで打ち伸ばしたものです。主に金沢で作られます。

瓶子にそえる造花です。三方にのせる瓶子の口にさし飾ります。三月飾りは桃の花、五月飾りは菖蒲の花をさします。

鯉のぼり

端午の節句は、奈良時代から行われている古い行事です。端午というのは、五月の初めの午(うま)の日という意味です。しかし、長い歴史の中で、いつのまにか五月五日に固定されてしまいました。

奈良・平安時代の端午には、災厄を避けるための行事が行われる重要な日でした。宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉で作った薬玉(くすだま)を柱に下げたりしました。また、災いをもたらす悪鬼を退治する意味で、騎射(うまゆみ)、競馬(くらべうま)などの勇壮な催しも行われました。

民間でも軒に菖蒲を挿し、また、子どもたちが小弓を引いたり、印地(いんじ)と呼ばれた石合戦を盛んに行いました。この印地は江戸の初めまで続きましたが、危険なため禁止とされて、後には菖蒲切りというチャンバラごっこから、菖蒲打ちといって菖蒲の束で地面叩き、音の大きさを競う遊びへと変化しました。

鎌倉時代には宮廷の端午の行事は衰えますが、代わって武家の間から、菖蒲を尚武と解し、この日を大切にする気風が生まれ、また、男の子に兜や太刀を贈ったりしました。民間でもこの頃から、菖蒲湯、菖蒲酒、菖蒲枕など、菖蒲に関する風習が盛んとなりました。

江戸時代、武家社会に入ると、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は染帷子(そめかたびら)の式服で江戸城に出仕し、将軍にお祝いを述べました。

また、将軍に世継ぎが生まれると、城中にたくさんののぼりや作り物の槍、薙刀、兜などを立てて盛大にこれを祝いました。民間でも、こうした武士の気風を真似て、初節句には厚紙でこしらえた大きな作り物の兜などを屋外に飾りました。

こうして端午の節句は、武家のみならず民間にまで広がって、男の子の誕生を祝う日となったのです。

作り物の鎧兜は、やがて屋内に引き入れられ、精巧なミニチュアの内飾りに変化していきます。また、外飾りの場合は、民間ではのぼりに武者絵などを大きく描いて、にぎやかに飾り立てました。そして、江戸も中期を過ぎる頃から、町の人々のアイデアで鯉のぼりが考案され、次第に大きくなって江戸の空を悠々と泳ぐようになりました。

明治時代に入ると、新政府の方針で、それまでの節句行事が廃止され、新たに国の祝祭日が定められたため、端午の節句も一時衰えました。しかし、男の子の誕生を祝いその成長を祈る日は、やはり人々の生活の中に深く浸透しているだけに、やがて復活し、今日まで盛大に祝われています。

このように、端午の節句は長い歴史の中にはぐくまれた、日本の誇る生活文化なのです。昔の人たちが工夫を重ねてきたように、現代の生活の中でも、いろいろアイデアをこらして、それぞれのご家庭で、みんなが一つになって、明るく楽しいお節句を演出してみようではありませんか。

五月人形には外飾りと内飾りとがあります。

鎧や兜を飾るのは、江戸の武家社会から生まれた風習ですが、庶民もこれにならい、ここからのちに精巧なミニチュアの内飾りが生まれました。現代ではとにかくこれらを戦争のための武器と受け取りがちですが、日本の鎧兜には、ゆたかな個性と時代時代の最高の工芸技術とが投じられています。風さわやかな五月五日、これら男性美に満ちた鎧兜などを飾って、男の子の健全な成長を祈るのは、日本古来の美しい風習なのです。

また、鯉のぼりや武者絵のぼりなどの外飾りは、わが子の出世を願うものとして、古くから建てられてきました。

鯉は、いさぎよい姿かたちとともに非常に生命力の強い魚です。鯉のぼりは、黄河の急流をさかのぼり、龍門の滝を登りきった鯉は、龍となって昇天するという中国の伝説にちなみ(登竜門という言葉の由来です)、どんな試練にも耐えて立派な人になるようにと、子どもの出生を祈るために立てられるものです。なお、戸外に建てるのぼりは、もともとは天の神様に降りてきていただく目印だったといわれています。

お節句は、その子が無事に成長するようにとのお祝いですから、基本的には、五月飾りもそれぞれに用意したいものです。しかし、もしそれが出来ない場合も、なにかその子自身のための五月人形などを買い求め、その健やかな成長を祈ってあげましょう。

五月人形同様、鯉のぼりも基本的には一人一人のものです。次男、三男の場合には、鯉を足していったらよいでしょう。

「...大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子どもたち...」の歌のように、青い五月の空を水に見立て、カラフルな家族の鯉をたくさん泳がせる、この素晴らしいアイデアこそ、端午の節句の象徴といえるでしょう。

以上の見解はごく標準的なものです。全国にはさまざまは風俗習慣がありますので、父方と母方とでは、あるいは考え方の違いもあることでしょう。しかし要は気持ちの問題、可愛いお子様のためによく話し合い、最良の方法で明るく楽しくお節句をお祝いしてください。

なお、なにかの事情で人形を保存できなくなったときは、全国各地の社寺で行われる人形供養(人形感謝祭)に持参し、若干の供養料を添えて納めるのがよいでしょう。

五月五日当日、またはその前夜(宵節句)に、両家の祖父母、親戚、親しい友人などをお招きします。また、お返しは子どもの名前で内祝いとして贈ります。これには古くから、ちまき、または柏餅がよく使われます。お礼の手紙に赤ちゃんのスナップ写真を添えるのもよいでしょう。ただし、お祝いの席にお招きした方には、特にお返しの必要はないでしょう。

春分の日過ぎ、遅くとも四月中旬頃までには飾って、当日を楽しみに待ちましょう。大切なのは毎年飾ることです。年一回のお節句です。毎年飾ることで、わが子に対する家族の祈りを新たにし、また子どもとの対話を深めることが出来るでしょう。

なお、お節句は季節の行事ですから、それが過ぎたらしまうのはなるべく早めに、五月中旬までのお天気のよい日を選んでしまいましょう。鯉のぼりも同様です。

一般的には、母方の実家から贈られる例が多いほうですが、今日では、可愛いお子さんのために、両家で費用を折半することも多くなりました。また、鯉のぼりは母方、内飾りは父方で用意することもあるようです。いずれにせよ、双方でよく話し合って決めることが大切でしょう。

飾り方は大きく分けて二通り、外飾り(鯉のぼりや武者絵のぼり)と、内飾り(鎧、兜飾り、または子ども大将飾り)とがあります。内飾りはこれらを中心にして、いろいろな道具や人形を飾り添えます。本来は、出世を願う鯉のぼりと、成長を祈る内飾りの両方を飾るのが望ましいかたちですが、地方によりどちらをメインにするか若干異なります。土地の風習を尊重しながら、その中でそれぞれのご家族にふさわしい飾り方を工夫してよいのではないでしょうか。

菖蒲の葉の強い香りには邪気を祓う力があると信じられ、その音が尚武に通じることとともに、昔から端午に欠かせない植物とされてきました。なお、菖蒲の葉をお風呂に入れる菖蒲湯は、体の穢れを除き健康によいとされ、現在でも行われています。

はじめ、天の神様を招くため戸外に立てた武具やのぼり旗は、江戸中期以降は内飾りにも作られ、また、兜の飾りに取り付けられていた人形がやがて独立して、さまざまな五月人形になりました。ことに武家社会では端午を象徴する菖蒲の音が「尚武」に通じることから、この日は跡継ぎの将来を祝う大切な祝日でした。この「尚武」を現代的に解釈するなら、男の子が多くの困難に打ち勝ってたくましく成長することと考えてよいでしょう。身を守るための鎧兜や、あるいは五月人形を飾る習わしの中には、わが子の健全な発育を祈る両親や家族たちの真剣でしかもあたたかな祈りが込められているのです。

男の赤ちゃんが初めて迎える五月五日のお節句を、初節句といいます。現在では子どもの日となっていますが、本来は端午(たんご)の節句といいました。端午とは五月初めの午(うま)の日のことです。端午は、奇数の重なることをおめでたいとする考え方から、やがて五月五日に定着しました。

大空を華麗に舞う鯉のぼりのいわれは、中国の黄河上流に竜門と呼ばれる激流が連なった難所があり、竜門を登りきった鯉は竜と化し、天に昇ったという、古代中国の伝説にあやかったもので、男子出生の祝いとして願いを込めて空高く揚げたのが始まりとされています。

■飾る場所と大きさ
鯉のぼりには大きく分けて地面に杭を打って揚げる「お庭用」と、マンション等のベランダに金具で固定する「ベランダ用」、また、その中間的な商品で、杭を使用しないで移動自由な「スタンドタイプ」があります。それぞれのタイプに大きさがありますので、お客様の条件に合った鯉のぼりをお選びいただくことが大切です。

■素材
鯉のぼりの一般的な素材には、ナイロンとポリエステルのどちらかが使われています。両方とも雨に濡れても簡単には色落ちはしませんが、ポリエステルの方が日光に対する強さがはるかにあり、変色があまりありません。

■汚れた場合の洗濯方法
鯉のぼりに目につくような汚れがある場合のみおすすめします。洗い方としては、お風呂の浴槽等にぬるま湯をはり、漂白剤の入っていない台所用液体洗剤を入れてつけおき洗いをします。その後、すぐに干して完全に乾かして下さい。

※ドライクリーニングは、金箔のはがれや変色の原因になりますので、避けて下さい。

■しまい方
鯉のぼりをよく干して、湿気のない所にしまいましょう。また、紛失しやすい口金具等は、ひとつの袋にまとめて保管して下さい。

羽子板

Hanetsuki(battledore and shuttlecock) began in the Muromachi period(about 1340~1550). According to the pictures which depicts Hanetsuki of the Momoyama period(around 1600), the branches of plum trees or Sagicho(The ceremony of New Year Day's exorcism in the Imperial court) were drawn on the Hagoita. When the Hagoita started to bear paddled pictures of the figures of Kabuki actors in the latter part of the Edoperiod, it became much more gorgeous and became popular among commoners. The reason for displaying Hagoita during the New Year's Days and for presenting a Hagoita to the newly born baby girl today is to dispel ill sprits so that she will grow up healthy.

赤ちゃんが生まれて初めて迎えるお正月を「初正月」といいます。わが国では古くからこの初正月を祝って、赤ちゃんの祖父母や、おじやおば、仲人、親しい友人などが、女の子には羽子板を、男の子には破魔弓を贈るという美しい習慣があります。

羽根突きの羽根の飛ぶ様がトンボに似ていることから、蚊が病気を媒介することを認識していた昔の人々は、羽根をトンボに見立てました。そのことから蚊はとんぼを恐れ、ひいては子供が蚊に刺されないという厄除けのおまじないとして、正月に羽根突きを行っていました。

また羽根突きの玉には、板で突いたときの音が良いということから『ムクロジ』という木の、黒くて堅い種子が用いられています。『ムクロジ』は『無患子』と書き『子供が患わ無い』ようにとの意味が含まれています。

江戸時代には羽根突きの板に、現在の原型ともいえる歌舞伎役者の舞台姿を押絵で仕上げて取り付けた飾り羽子板が登場し、人気は高まり、急速に普及していきました。

昭和期に入ると美人画が多く描かれるようになり、衣装もあでやかに、華やかになっていきました。また、ケース入りの羽子板が登場し、女児の初正月の飾り物として広く用いられるようになりました。

このように羽子板は正月の羽根突きの遊び道具、贈り物、飾り物という用途に加えて、女児の初正月を祝い、邪気をはね除け美しく無事成長することを願うための大切な飾りとなっています。

押絵羽子板の絵柄は、歌舞伎舞踊の名場面を押絵にしたというだけでなく、絵柄自体に江戸っ子独自の思い入れとユーモアを含む意味を持たせています。現在、女の子の初節句のお祝いとして作られている代表的な絵柄は、藤娘・道成寺・汐汲・浅妻があります。

藤娘...行儀の良い子になり、良縁に恵まれるように

道成寺...波乱万丈あれども、将来しあわせになるように

汐汲...しあわせを汲み、良き縁を作るように

浅妻...情緒豊かに育ち、しあわせな日々を送るように

このような意味合いの願いを込めて、羽子板を飾りたいものです。

十二月の中旬以降に飾り付けたらよいでしょう。そしてお正月には、贈って頂いた方々を招いて、ご家庭でおもてなしするのもよい方法です。もちろん当日の主役は赤ちゃんです。

しまうのは、一月十五日頃がよいでしょう。それはちょうどこの頃、お正月飾りを焼く左義長(さぎちょう・どんど焼きのこと)の行事が行われるからです。江戸時代には、宮中の左義長風景を描いた極彩色の左義長羽子板というものがありました。これは、このお正月行事と羽子板との密接な関係を物語っているものといえるでしょう。

なおこれらは、もちろんお正月だけでなく、ひな人形や五月人形の脇飾りとして飾ってもよいでしょう。

羽子板も破魔弓も、ともに古来からの行事であった新春の年占いや厄払いがその始まりです。 男の子が弓矢で的を射て年占いをしたのがのちに破魔弓となり、また、女の子がお正月に羽根を突いて、その年の厄払いをしたのがのちに美しい羽子板を生み出したのです。

お正月の羽根突きは、江戸の昔から女の子の遊びです。そしてこの羽子板は、女の赤ちゃんの無病息災のお守りの意味も持っているのです。

羽子板で突く羽根の玉、あの黒くて堅い玉は(むくろじ)という大木の種ですが、これは漢字で「無患子」と書きます。すなわち「子どもが患わない」という意味を含んでいるとも考えられるでしょう。

また、昔は羽根の形をトンボに見立てて、トンボが蚊を食べる益虫であることから、お正月に羽根を突くと、夏になっても蚊に食われることがないと、長い間信じられてきました。こうして羽子板には、遠い昔から子どもの無事を願うあたたかい親心がこめられているのです。

巻物を読みあげている弁慶の構図です。能楽の「安宅」、歌舞伎の「勧進帳」よりの構図です。そのほか金剛杖を持ち六法を踏む構図のものもあります。

武藏坊弁慶です。能および歌舞伎の「橋弁慶」、「勧進帳」からとった構図などがあります。

4角な袖の衣裳を着用し、中啓(扇)を持って見得を切っている構図です。変型には兜をもったものもあります。歌舞伎十八番の中の「暫」の主役です。芝居で、揚げ幕の内より「しばらく」と声を掛けて登場するので、この名があります。

焼き鏝で絵の輪郭などを描き、彩色したものです。子ども用の羽子板などにこの方法を用います。

板にじかに絵を描いた羽子板です。

押絵羽子板の専門語です。俳優などの似顔絵以外のもので、歌舞伎舞踊などに見立てた男女人物の総称です。

よりの弱い経糸とよりの強いヨコ糸を使用して織ったあと、さらに加工したちぢれた感じの織物のことです。

布に金を転写し、この周囲をやや硬質の樹脂で縁取って、その縁取りにも金を転写して図柄を表現したものです。

布に染料で絵を染め出した織物です。江戸中期に宮崎友禅斎が創始したのでこの名前があります。

羽子板などに使用する手工芸の名称です。図案を厚紙にて切り抜き、羽二重その他のきれでくるみ、彩色をほどこした手芸品です。主として羽子板に用います。

烏帽子をかぶり扇と鈴を持って踊る構図です。能楽の「翁」の場合に演ずる天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を寿ぐ目出度い舞で、歌舞伎にも種々な三番叟の舞があります。

親獅子(白)、子獅子(赤)の舞姿の構図です。能楽「石橋」の獅子舞で、寂照法師が中国の清涼山の千仭の谷にかかる石橋のほとりで見たという獅子が、牡丹咲く中で、目出度く舞い納める構図です。

白い毛をかぶった親獅子と赤い毛をかぶった子獅子の舞姿で、能楽「石橋」や歌舞伎の「連獅子」からとった構図です。 子を谷に蹴落として励ます姿を表しています。

白い毛をかぶった獅子の舞姿の構図です。芝居、舞踊から出たもの、前シテは大奥女中が獅子頭をかざして踊る華麗な構図(弥生)で、後シテは白い毛をかぶった獅子の舞の構図です。

男装をした芸妓の祭礼姿です。江戸祭礼の一風俗で、花笠をかぶり、金棒を引く芸妓の男姿です。

春駒を手にした美人の舞姿の構図です。舞踊人形及び羽子板に多くこの構図があります。江戸時代(1601~1867年)、正月に馬の玩具を持った婦人が町を舞い歩いた姿で、舞踊にも取り入れられています。

糸巻を持った娘の舞姿の構図です。芝居の「妹背山婦女庭訓」の登場人物で、お三輪の件の糸巻(苧環おだまき)を持った可憐で艶なる姿の構図です。

兜を捧げる姫姿の構図です。芝居の「本朝二十四孝」の八重垣姫の図で、おもに諏訪法性の兜を捧げる姫の姿が用いられます。

振袖の禿衣裳を着て裾を端折り踊る童女の構図です。芝居舞踊の「羽根の禿」の舞踊姿です。

金烏帽子、狩衣姿で水桶をになって舞う娘姿の構図です。能楽「松風」より出た舞踊「汐汲」の構図です。

笠をつけ、藤の花を持った娘の舞姿の構図です。日本舞踊、大津絵のうちの藤娘の舞姿でこれを飾ると良縁を得られるという伝説があります。

金烏帽子をかぶり中啓(扇)を持って踊る娘姿の構図です。能楽の「道成寺」または芝居の「娘道成寺」で、構図はこのほか多数あります

破魔弓

Hamayumi has the meaning of warding off evil. It has been used in Shrines for a long time. It is said that Hamayumi has been popular among people since the middle of the Heian period(about 800~1200). "Meigen"-The ceremony to ward off evil spirits, using a bow and arrows was held when a prince was born at the Imperial Court. It is said Hamayumi has had it's present from since the Kamakura period(1192~1333). In theEdo period the custom of displaying hamayumi on the New Year Days for newly born baby boys began among the worrior, the tradesmen and artisants families. It spread all over the country. The custom of displaying Hamayumi during the New Year Days is based on these traditions. It carries a wish that a baby boy will grow up healthy, Thus, dispelling various ill spirits is part of this tradition.

赤ちゃんが生まれて初めて迎えるお正月を「初正月」といいます。わが国では古くからこの初正月を祝って、赤ちゃんの祖父母や、おじやおば、仲人、親しい友人などが、女の子には羽子板を、男の子には破魔弓を贈るという美しい習慣があります。

羽子板も破魔弓も、ともに古来からの行事であった新春の年占いや厄払いがその始まりです。 男の子が弓矢で的を射て年占いをしたのがのちに破魔弓となり、また、女の子がお正月に羽根を突いて、その年の厄払いをしたのがのちに美しい羽子板を生み出したのです。

呼んで字のごとく、破魔弓はずばり魔除け、厄払いのお守りです。弓の的を昔はハマといいました。破魔弓はこのハマに漢字を当てはめたものです。同じようなものに神社の破魔矢や、棟上げの際屋根に立てる破魔矢があります。これらはいずれも弓矢の持つ霊の力を信じることから生まれた習慣です。

破魔弓飾りの主役はなんと言っても弓と矢です。その中でも、矢に使用する羽根は商品のイメージを左右する重要な部品のひとつです。

■フクロウ
フクロウ目フクロウ科の鳥。全身灰褐色の地で、黄白色の褐色の斑がある。風切羽の周囲には綿毛が生え、羽ばたきの音を和らげる効果がある。そのため、羽根が大変柔らかいのが特徴である。

■ガチョウ
ガンカモ科の鳥で、野生の雁を飼いならして家禽化(飼育)したもの。矢羽に使用されるものは手羽先の固い部分。胸の柔らかい部分は、羽毛布団などに幅広く利用されている。

■キジホロ
雉の手羽の部分で、淡い茶色の縞模様が美しい。雉は日本固有の鳥で、1974年に国鳥に指定され親しまれている。

■銀鶏
キジ科に属し原産は中国。首元の羽根は白地に藍色の柄があり、その美しさから、高級品として破魔弓飾りに多く用いられている。金鶏と同様、飼い鳥として広く飼われている。

■金鶏
キジ科に属し原産は中国。橙地に青黒い横縞の羽根が特徴で、飼い鳥として愛好者も多い。雄の尾羽は70cmになる。

矢を入れる道具の名称です。武士が腰や背に負うて使用しました。お正月の飾り破魔弓にも用います。

十二月の中旬以降に飾り付けたらよいでしょう。そしてお正月には、贈って頂いた方々を招いて、ご家庭でおもてなしするのもよい方法です。もちろん当日の主役は赤ちゃんです。

しまうのは、一月十五日頃がよいでしょう。それはちょうどこの頃、お正月飾りを焼く左義長(さぎちょう・どんど焼きのこと)の行事が行われるからです。江戸時代には、宮中の左義長風景を描いた極彩色の左義長羽子板というものがありました。これは、このお正月行事と羽子板との密接な関係を物語っているものといえるでしょう。

なおこれらは、もちろんお正月だけでなく、ひな人形や五月人形の脇飾りとして飾ってもよいでしょう。